台湾、田舎ぐらし。 好想深深地認識台灣當地的文化。

 

はじめまして🍀スナです。
私は2017年に埼玉にある中国残留邦人帰国者のための介護事業所に勤めたことがきっかけで、中国語を学ぼうと思うようになりました。通信講座を利用して普通語と言われる中国大陸の標準語の勉強を始めたのですが、中国黒龍江省の方言が飛び交う職場では、自分のしている勉強があまり役立たないように思えました。

その後、まだ世界規模のコロナ禍の起きる前の2019年6月、仕事を辞めて台湾に渡りました。台中市、宜蘭市での学生生活を経て、結婚を機に南投縣埔里鎮という街に越して来てまる2年になります。

台湾は一般に北部、中部、南部、東部に区分され、中部には苗栗縣,台中市,南投縣,彰化縣,雲林縣の1市4県が含まれます。南投縣は、四方を海に囲まれる台湾本島の内陸に位置し、離島を除いて唯一鉄道が通っていない地域です。
「擁有好山好水好風景」
(Yǒngyǒu hǎo shān hǎo shuǐ hǎo fēngjǐng)
海抜400メートル高の盆地である埔里(プーリ)は、一歩外に出て頭を上げれば美しい山々が臨めます。埔里の水は円やかで、夏は冷水、寒い季節は暖かい湯を浴びれば、温泉に行かずとも全身快適に過ごせるといいます。首都台北は埔里と同じく盆地ですが、高層ビルや高架橋、工場に遮られ、埔里のような美しい空は見られません。

台湾本島の文字通り中心に位置する埔里は、豊かな山脈のおかげでモンスーンの影響を直に受けることがありません。台風の季節も、太平洋側からの風が高山にぶつかると勢力が弱まり、浸水などの自然災害になることは比較的少ないといわれます(モンスーンの影響を受けやすい北部や東北部は霧や小雨が多く、一般的な台灣のイメージに相反して陰鬱な天気が続くこともあります)。

夏は暑すぎず、冬は寒すぎず、雨量も程々の埔里は、一年を通して天候が落ち着いているので日本人にとっても暮らしやすいです。

「台湾の中心で・・何を思う」

地元で農業を営む男性に尋ねるとこのように話してくれました。

「埔里は小型都市であり、人口が市街地に集中していて町は都市部ほど車が多くなく、生活のペースは穏やか、夜9時過ぎには静かになり、老後の生活を送るのにも適している。」

山から見た市街地の様子
虎頭山のパラグライダー

2009年には国道6号(都市部と繋ぐ高速道路)が開通し、より快適な住処を求める外部からの居
住者が増えたために、埔里の土地の価格は見る見るうちに高騰したそうです。

プーリトンネル


埔里は自然が豊かなだけではありません。「茭白筍 (マコモダケ)」「百香果 (パッションフルーツ)」
「玫瑰 (バラ)」「紹興酒」の産地として知られ、ここ数年は「手作りチョコレート」「蜂蜜」といった特
産品も生まれています。

茭白筍「ㄐㄧㄠ ㄅㄞˊ ㄙㄨㄣˇ」は水の中で育つタケノコ


私の一番のお気に入りは百香果(Bǎixiāng guǒ)。台湾ではとても普遍的なフルーツです。気候に
恵まれた埔里の主要な産業は農林業であり、街の中心から車で15分ほど山に上るとそこには広
大な農地が広がっています。

百香果は1年に2回、収穫される。1月中旬、たわわに実った果実をすべてもぎ取る。

つるのように伸びる枝を、180センチ程の高さの棚が支えている。

とても華奢な百香果の幹


農園から見た山脈
農暦の旧正月を控えた1月某日、気温が28℃に達しました。


生活者として異文化に身を置くというのは、衣食住の習慣、気候、言語、交通手段、人間関係の
あり方などを新たに学ぶこと。水に慣れるまでの時間を楽しく過ごしたいと思います。

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この記事を書いた人

東京都出身、南投県在住。
犬と書道が大好きです。曾祖父は日本統治時代の台湾で暮らしました。
日本と台湾、ふたつの文化の狭間で、揺れ動きつつ、生活者の目で見た様々な様子をブログを通して綴っていけたらと思います!

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